本日、営業よりアップします。
ヒッチコックの映画『裏窓』のオープニング。カーテンもなく開け放たれたアパートメントの裏窓の奥でそれぞれの住人たちが繰り広げる生々しい生活がゆっくり移動するカメラによって順繰りに映し出されていきます。演劇の舞台装置のような見事な演出。映し出される住人たちは決して他人には見せない姿態をさらけだします。観客は覗き見しているような錯覚を覚えつつも、自分に置き換えて恥ずかしくなったりします。
もちろん自分の生活を、カーテンもせずにさらけ出す人なんていうのは現実にはそうそういるものではありませんし、他人の生活を近くでのぞける(のぞかれる)窓があれば、目隠ししてしまうのが普通です。
プライバシーは覗かれたくないし、敷地の中に他人が勝手に入ってくるなどというのは論外です。ふつう。
しかし世の中には、変わった発想をする人がいるもので、人とつながる場所として自宅の一部を他者に向けてあえて「開いている」人がいます。最近知ったのですがこれを「住み開き」というそうです。
例えば漫画本をたくさん持っている人が誰でもそれを読めるように特定の曜日と時間に部屋を開放したり、子育てママが育児の相談や共同育児の場として家をサロン化したり、はなれの小屋をものづくりの場として提供し同じ趣味の人と交流したり、といった人それぞれの深さとやり方で、新たなコミュニティを作り出していく動きがあるというのです。
単純に面白いと思いますし、今日の不確かな時代を乗り切るためのヒントが隠れているようにも思えます。
オープンガーデンなども典型的な住み開きですね。自庭を公開することが目的というよりも、公開することで思いがけないコミュニケーションが生まれることが大切なのでしょう。
閉じこもっていたのでは何も生まれませんが、他者に開くことで何かが生まれるというわけです。
畑を耕していると、何人かの人が話しかけてきます。「何を植えるんだい」と話しかけてくる人は野菜作りの経験者です。栽培のコツを教えてくれたりします。「耕運機貸そうか」と話しかけてくれた人もいます。来春お借りすることにしました。その方の名前を知らないのですが、これも住み開きの一種ではないでしょうか。
わが家のお隣さんは留守中に突然の雨が降った時など洗濯物が濡れないように取り込んでくれることがあります。勝手に柵を超えて入っているわけですが(笑)、助かっています。入りやすいように段までこしらえたりして。これも住み開きです。昔はふつうに行われていたことです。