本日、営業よりアップします。
仕事柄、Youtubeを見るときも、建築系に目が行きます。先日も「注文建築のこれはいらない7選」といった動画を見ていました。するとその中に「アクセントクロス」が出てきました。クロスはシンプルなものがベストであって、アクセントクロスはコストもかかるし、住み始めは良いがすぐに見慣れてしまって飽きてしまうから、やめた方が良いというのがその主張でした。むむむ、それってあなたの感想ですよねと言いたくなるわけです。とにかく低コストで家を建てたいというのであれば一理あるかもしれません。しかし、お施主様のクロス選定にかける熱い思いを見てきたものとしては、そうですよねと肯くことはできません。
アクセントクロス貼り分け
建物の外観でお施主様の人間性や品性を表すことは(不可能ではないが)とても難しいですが、選定されたクロスからは、その人なりの嗜好性や人間性、そして感性を垣間見ることができます。家づくりの中には、性能では測れない領域があって、お施主様の自己表現・自己実現のための領域があるのですね。クロスの選定というのはまさにその最たるものかもしれません。確かにその時の自分の自己表現だから、価値観が変わって飽きてしまうかもしれません。ならば、また違う柄に張り替えてしまえばよいと思うのです。クロスなんてその程度のものだと思えば、もっともっと冒険もしやすいのではないでしょうか。
一般的に日本人はアクセントクロスが苦手です。苦手というか、とても防衛的で、恐る恐るという感じです。これは以前にも書きましたが、Googleの画像検索をかけるとよくわかります。
日本語で「アクセントクロス」と画像検索した時にでてくるアクセントクロスの画像と、英語で「accent wallpaper」と検索した時のアクセントクロスの画像は笑ってしまうほど全然違います。実際に検索してみてください。ね、全然違いますよね。
どちらが良いかという問題ではなく、壁紙に対する発想が全く違うという感じです。
「アクセントクロス」と「accent wallpaper」の違いは農耕民族と狩猟民族の違いに起因するのじゃないかというのが私の仮説です。
農耕民族は、自然と共存し、計画的で慎重、集団の中で協調性を重んじる傾向がありますが、
狩猟民族は、自然は征服する対象であり、行動力はあるが、計画性は乏しく、個人主義的で自己主張が強いといった感じでしょうか。
「不良」の中高生に流行した変形学生服というのがかつてありました。ぼんたんとか短ラン長ランとか・・・反抗的でイキってるんだけど、「制服」という枠の中での反抗でしかありません。僕の中学の同級生は制服に昇り龍の刺繍を入れていましたが、刺繍の場所は裏地でした(見えない!)。タックの数が2本か3本か、スソにファスナーがあるか、隠しポケットがついているか、非常に小さな差異でもって優位性を競いあっていました。実に農耕民族的です。狩猟民族なら、制服という枠組みそのものをなくしてしまうでしょう。
さて、横道にそれましたが、結論。
クロスに関しては、狩猟民族たれ!