きょうは営業からアップします。
子どもの頃、よく小銭をひろいました。
下ばかり向いて歩いていたからです。
大人になってからは、あまり拾わなくなりました。
そのことを不思議に思っていたのですが、
作家の立松和平が答えを教えてくれました。
娘と自転車のパンクを修理した立松和平は、自分も父親からパンク修理を教わったことを思い出し、自転車のパンク修理といった「ささやかなこと」を親がしっかりと教えなければならないと書きます。そして次のように続けます。(以下引用)
親から子に教えることは多いが、親が子に教えられることはもっと多い。大人になると、自分が昔子供だったことを忘れてしまうのである。(・・・)
地面にしゃがんで蟻(あり)を見ていることが、子供の頃の私は好きであった。ありは一生懸命働いていた。引っ越しなのか時々長い行列があり、うねうねと続く列をたどっていくと隣の家の庭に至り、土の穴に吸い込まれていく。蟻が隣の家に引っ越してしまうのは淋しい気がしたものだ。(・・・)
いつの間にか蟻など見なくなってしまった。都会暮らしをしているから蟻など身の回りにいなくなったというのではない。石段の隙間や、公園や、家と家の間の空地などに、蟻はいくらでもいる。小さな自然の場所を見つけて、昔から変わらない暮らしをしている。ただ私たちの目が小さな命をとらえなくなってしまったのである。
大人になるということは、背が伸びて地面から目が遠くなっていくことである。おまけに近視にでもなれば、ますます地面は見えにくくなる。さしあたっての自分の暮らしに関係のない蟻は、視野にも入らなくなってしまうのである。
立松和平「子供の時間」より
大人になることは地面から目が遠くなっていくこと・・・立松和平は鋭いな。
さてこの文章を読んでふと家の周りを眺めてみると・・・
面白いものを発見しました!
ここからは人によっては閲覧注意です。
この写真は、脱皮したところをアリに襲われた不運なセミのなれの果てです。
美しい。。。
アリは大きな獲物を捕まえ一度に処分できないとき、それに土をかぶせて隠すんだそうです。
ところがコンクリート上には土がないから、砂のような粒子状のものと枯れた芝草を使って獲物を隠したのでしょう。
鳥瞰できる人間はその造形を発見し感動します。
しかし当のアリたちは自分たちの作り出した美術について全く知ることはないのですね。
もうひとつ
むこうのほうにセミの足が見えますね。
夏ならではの風景です。
地面には素敵なものが転がっています。
下を向いて歩こう♪