本日営業よりアップします。
10月27日から11月9日は読書週間だそうです。ことしの標語は「私のペースで しおりは進む」
きょうは1冊の本をめぐる思い出ばなしです。お付き合いください。
中学3年生の時に担任の先生からある本を個人的に薦められたことがあります。私立高校の受験を終えた日の午後でした。担任の今村先生と話していたのです。おそらく私が中学生が読まないようなちょっと背伸びした雑誌を読んでいたことを知ったことがきっかけだったと思うのですが、今にして思えばちょっと哲学的な素朴な疑問を私は独り言のように呟いたのでした。今村先生はそれについて幾つかの質問を私に投げかけましたが、私はうまく答えられませんでした。その時先生が、いつか読んでみるといいよと言って1冊の本を紹介してくれました。私は忘れてはいけないと思ってノートにその名前を書き留めました。・・・ルネ・デカルトの『省察』・・・とても魅力的なタイトルだとは思いました。しかし、正直言って、この本は難解すぎて当時の私の疑問や悩みを何も解決してはくれませんでした。ただ、私を子どもあつかいしなかった先生の気持ちがとても嬉しかったことを昨日のことのように覚えています。後になって、なぜ今村先生はこんな難しい本を私に勧めたのだろうと考えました。普通に考えてこの本の選択は無謀に思えます。でもさらにこう考えました。きっと先生はかつて『省察』を読んで、なんらかの迷いや悩みを解決したのではないだろうか、だから私にも勧めたのではないだろうか、と。途端に先生への興味が湧いたことを覚えています。
人がAという本を紹介するとき、その本が実際に他人にとって最高の本になるかはわかりません。でも、Aという本に感動しそれを紹介する人の内面世界に興味を持つことはできます。この人はどんな本を読んできたのだろう、外からは窺い知れない内面世界は本棚を見ればわかります。だから時として本棚を見せることを人は恥ずかしがります。きっとそれでいいのだと思います。
今村先生は大学を出て保険会社に就職したにもかかわらず、退職して中学校の先生になった人でした。私が中学2年の時に、新人として着任し、卒業までお世話になりました。着任式、つまり最初にお目にかかった日のことを今でも覚えています。5人ほどの新任の先生が壇上で順に紹介されていきます。どんな先生が来たんだろう、思春期の子どもたちのちょっと斜に構えた残酷な眼光に射すくめられてちょっと気の毒なぐらいでしたが、今村先生はすごかった。一瞬で、そう本当に一瞬で、全校生徒をとりこにしてしまったのです。どうやったのかはあえて書きません。当時の臨場感を言葉ではとても表現できないから。でも間違いなく、一瞬で生徒たちは今村先生に心を許したのです。今までにあんな魔法を見たことがありません。この先生が自分のクラスの担任だと知ったときは小さくガッツポーズをしました。(この忘れがたい一瞬について、後日同級生だった友人に話したところ、誰一人覚えていませんでした。記憶というのは極めて個人的なものなのですね)
さて、その秋にちょっとした事件がありました。始業のベルがなってもいっこうに先生が現れません。自分のクラスだけではありません。となりのクラスも、そのとなりのクラスもです。30分くらいしてようやく現れた先生はいつになく険しい表情で、ある生徒のカバンの中から5000円札がなくなったこと、対処の方法を先生たちで話し合っていること、だからもう少し待っていて欲しいということを伝えるとまた職員室に戻っていきました。教室はだんだん無秩序になっていきました。当時学級委員長だった私は、責任感とどちらかというと好奇心から、職員室の様子をのぞきにいきました。詳しい状況はわかりませんでしたが、校長・教頭に対して先生たちが何か強い口調で訴えているということはわかりました。今村先生の声も聞こえました。先生たちがケンカしている、私はそう思いました。それから30分ほどして教室に帰ってきた先生は、「先生たちで話し合った結果、持ち物検査をすることになった・・・すまない・・・」と声をつまらせながら鎮痛な面持ちで語ると、窓際の生徒から順に鞄の中を開けさせました。私は廊下側の一番前の席、つまり一番最後に検査される席に座っていました。自分の番が来ました。私はとてもとても緊張していました。なぜなら私はその時、学校に持ってきてはいけないものを鞄の中に持っていたからです。怒られる、と思って覚悟しました。すると水滴が落ちてきて皮カバンの上で弾けました。え?と思って顔を上げると、それは先生の涙でした。今村先生は泣きながら私の鞄を調べていたのです。そして私の持ち物をとがめることもせず、検査を終えました。
職員室の「ケンカ」は、持ち物検査をするように主張する校長・教頭に対して先生たちが反対して起きたものだったのです。今の学校現場でもきっとそうであって欲しいと思いますが、当時先生が生徒の持ち物を検査するというのはそんなに簡単にできることではなかったのです。ましてやこの時はお金がからんでいました。お金を盗んだ生徒がもし見つかってしまった時、一体どうするつもりだったのでしょうか? 先生が生徒を疑い犯人探しをする、そのことに語気を強めて反対するのは当然のモラルですが管理職に異を唱えるのは勇気のいることでもあったはずです。持ち物検査をするべきだと主張した先生の方が多かったのか、それとも校長が強行突破したのか、とにかく職員会議で持ち物検査を行うことが決まったわけです。決まってしまったからには検査をせざるを得ない。今村先生の心中は表情を見ているだけで痛いほどわかりました。最後に見せた涙のことを私は忘れることができません。生徒を疑うことになる持ち物検査を不本意ながら行っている自分が許せなかったのでしょう。そして一方では自分のクラスに「犯人」がいなかったことへの安堵もあったでしょう。いろいろな思いのこもった涙だったのだと思います。そしてそのような涙を流せる素晴らしい先生に教わったことが私の誇りでもあります。
本について私が思い出すことはこんなことです。
今村先生、今もお元気ですか?